昭和51年07月29日 朝の御理解
御神訓 一、体の丈夫を願え
一、体を作れ 何事も体がもとなり。
神様にどうぞ体の丈夫をお願い致します。何をするにも体あっての事であり、健康があっての事ですからね、何事をするにも体が元である。それでここへ願えとあり、元なりとあるのですから、その元の事を願うからおかげを頂くというふうではないと思うですよね。どうぞ体の丈夫をお願い致します、何をするにも体が元ですから、どうぞ健康のおかげを頂かせて下さいと、願うたからというて健康になったり、体が丈夫になるということはないと思います。
そういうところにです、私は教祖の御教えというのは、そのう真理というかその深さというのに触れてまいりませんと、おかげになっていかない。例えば合楽で言われる五つの願いを、皆さん朝晩どころではない、神様に拍手して向かわれた時には、必ず五つの願いは願い続けておられる事だろうとこう思います。私ももうそれこそ御神前ではない、拍手して神様にお礼申し上げる時には、もう必ずこの五つの願いだけはさせてもらいます。何をするにも体が元とおうせられるのですから。
どうぞ体のおかげを頂かせて下さい、丈夫を頂かせて下さいと。だから願うただけでおかげを下さるということではない事を知っておりますから、その為には体をお粗末にするような事は致しません。まぁ言うならば大酒大食は、絶食の元になると教えて下さってあるのですから、大酒大食をして体を壊す様な御無礼な事は致しません、という信心が出来る。そういう信心が出来て体の丈夫を願って、初めて体の丈夫のおかげが頂けれるということでございましょうが。
ここでは「体の丈夫を願え、体を作れ何事も体がもとなり」だというてこう教えておられます。からというてなら体の丈夫をどうぞお願い致します、と言うたからというて、私がおかげを頂かれん。このもう一つ向こうには体の丈夫を願うからには、心の丈夫を願えよということだと私は思います。心が健全になるということ。体をつくれ何事も体が元なりと、先ず」心を作れと。一切の幸福の源泉であるところの心をつくれ、何事もおかげはみんな和賀心にあるんだぞと、教えておられると頂くのが本当だと思うです。
だから体の丈夫を願う事もよし、体をつくれ何事も体が元だからというて願う事もよいけれども、その私は真意大本は先ず心の丈夫を願えと、心が健全になる。心と肉体は繋がっておる。心の繁栄だとさえ言われておる。私もそう思うですね。そうだと信じます。ですから心の丈夫を願うということ。体をつくれ何事も体がもとなりと、まず心をつくれ。おかげはその心が元ぞと教えておられる。それ頂かないとここの私は御神訓は生きてこないと思うです。
ただ金光様の信心はこの御神訓にある通り、どうぞ体の丈夫をお願い致します、というのであったら、私は教祖の信心は浅いことになってくると思うです。そこで一連したこの御教えを例えば読ませて頂きますとです、一つ大酒大食は絶食のもとになるぞと、食物は和賀心で毒にも薬にもなるものぞと、何を食うにも飲むにも有り難く頂く心を忘れなよと、例えば食物に対するところのこれは御教えですけれども。
なら体の丈夫を願え体をつくれ、何事も体がもとなりというところには、今聞いて頂いたような内容に致しますと、ここんところの三つが内容として、実行出来なきゃならんということになります。食物はわが心で毒にも薬にもなると仰る。どう言う様な例えば問題が起きましても、その問題の頂き方如何によって、おかげにもなればおかげを落とす事にもなるのです。頂き方でしょう。心を健全にする事のためのいうならば、様々な問題がある難儀がある。
腹の立つような事があると致しましても、それを腹ただしやと受けたらどういうことになりますか、もうおかげはそこから漏れていきます。その腹ただしいというその問題をよく検討してみると神愛、神様がいうなら心を健全にして下さるための良薬であると頂く。時にわが心で毒にも薬にもなるという訳が分かるでしょう。神様のお下がりだとか神様のものだから御の字さえつけていきゃ、お酒でも何でもどげん飲んだっちゃよか、どげん腹一杯頂いてっちゃよかと。
御の字さえつければと言う様な事では、それが絶食のもとになると教えておられます。ある方が毎日熱心に参ってみえます。お父さんというのがお酒、まぁお酒まぁ中毒でしょうね。毎日此処からお神酒を一本ずつ一升瓶です、分けて頂いて毎日買われる。しかしもう本当に腹の中に「うわばみ」が住んどるとじゃないだろうかと思う位ですよね、毎日ですから。その事を二、三日前お届けがありました。そしたら「身の危険」ということを頂きました。いうなら大酒大食は絶食のもとになるということです。
それはもう飲まにゃおられんということもあろうけれども、そこをね辛抱して例えば少しずつでも少量にしていかなければいけないぞということなんです。その事をお願いさせてもらいよりましたらね、炭俵にね木炭が一杯つまってます。その炭俵に今はなんかビニールの袋か何かで中に入っとるでしょうけれども、あの以前は茅の編んだので出来てましたよね、いわゆるたきつけになるようなもの。それにね子供がシューと上げる花火ですね、花火をさしてあるところを頂きました。
だからここに火の気どんぱっともって来たらばぁっと燃え上げて、そこの中にに木炭が入っとるからわりわりするごと起こって、それこそ危ないです。そんなに危険な事だから、一つ知った苦労だろうけれども、中の木炭、木炭の事は苦労という意味ですね、真っ黒しとるから。皆さんが一生懸命信心の修行をさせて頂いておる。その信心の修行が神様の目に留まるのです。「色は黒てもたどんのよでも 雪のだるまの目に留まる」、雪のだるまの目に留まる。私共が一生懸命修行をさせて頂いておるとです。
神様の目に留まる、そこからおかげが頂かれ、そこから体質改善が出来、そこからがおかげになってくるのです。もうありゃいくらいうて聞かせても同じ事、と神様から神様の目に留まるどころではなくて、神様から見放されるような事ではいけない。そこで私はひとつ木炭のような修行をしなさい、その木炭に火をかける熱情をかけると、水ならお湯にもなりましょう、米ならそれがままにもなりましょう。
そこんところをひとつしっかりお父さんに、あんたがこの意味をよく分かって、お父さんにそれをいうて聞かせて下さい。毎日朝の御祈念に参ってお母さんが参ってきます。昼は最近ここの心行にお父さんも一緒に御祈念に参ってきます。そしてその身の危険である事のお知らせを頂いてです、お酒をもう買わない事にした。もうあとこれくらいばっかり残っとった。だからもう今日はこれで我慢すると言う。それはもう大変な苦しみだろうと思うです。日に一升づつ飲まにゃ体がもてんというのですからね。
それをその残っとるだけで辛抱させてもらう。そういうお届けが明くる日ありました時に私が頂きました事はね、この「判定勝ち」ということを頂きました。神様がねそれは何と言いましょうか、判定勝ちと言いましょう、オリンピックなんかで今あってますがね。柔道なら柔道で勝負がつかない。けれども少しならあのうまぁ格好がよかったりちょっとしたまぁ優れた点があると、それを判定勝ちにする訳です。
私はそれを頂いてから本当に、有り難いと思うたです。もう一生懸命精進するということですね信心とは。そういうところをです、なら合楽では御の字さえつけていけば何を頂いたっちゃよかよと何をしてもいいよと、おおらかに教えて下さるけれども、それが絶食のもとになるような、又はそれで心を汚したり、心を傷つけたりするようなことに御の字をつけたって、それは私は絶食の元になると思うです。時分はこれを飲んだらこれを食べたらいけない事が分かっておるのに。
はぁ御の字をつけてから御酒を頂いたり、御事柄して頂きさえすりゃよいと言う様な事ではいかん。そこに一生懸命にそれに取り組んでの精進こそがです、神の目に留まるのです。そして例えば勝負がつかん、そりゃ苦しい勝ったり負けたりの状態であろうけれどもです、失敗をしたり又は今日は、まぁおかげで失敗せんで済んだと言った様な所があってもです、その一生懸命に勤めておる事に対してです、神様が判定がちのおかげを下さるのです。私は今日の御理解は体質改善だと思うです。
ということはどう言うことかというと、心のこれは私の持ち流だからと言う様な事ではなくてです、冷たい人は温かくなり、温かすぎる人はそれを冷却すると言った様な、一歩でも神様の心に叶うていくことの精進を、私はこの食物訓は教えてあると思うです。好きな物がありますとです、やっぱり食べ過ぎます。そういう時に私は一生懸命精進しなければいけないと思う。ガタガタ手が震うごとあっても、これをじっとこう辛抱させて頂く。そういう辛抱の姿に神様が目を止めて下さる。
そしてならそれがしだごだであってもです、しだごだというが失敗をしたり、又はしなかったりと言った様な事であっても、それを出来たものとして神様は受けて下さる。判定勝ちでおかげを下さるということなんです。「体の丈夫を願え体をつくれ、何事も体がもとなり」、表面だけを頂きますとどうぞ体の丈夫をお願いします、というだけでよかろうごたるけれども。体の丈夫を願うからにはです、丈夫になるいうならば、精進だけはさせてもらわなければならんということになります。
ならその精進ということはです、いうならば心の健全を願う事であり、心の丈夫を願う事ですから、何を食うにも飲むにも、有り難く頂く心を忘れなよとおうせられるように、どういう苦いものであろうが、自分の好き嫌いなものがございますけれども、それでは体質改善は出来ん。体のいうならバランスはとれない。嫌なものであっても、それをなら薬と思うてと頂く。そこに私は体の健康のバランスと同時に、心の平生心、心のバランスがとれてくる。
その平生心におかげがある。ためには精進がいる。なかなか今迄はそれを当たり前のようにしてやって来た事だから、なかなか難しいけれども、そこをお取り次ぎを頂き、生神金光大神様天地金乃神様と御縋りしながら、一升も飲まなければおれない酒をです、一生懸命辛抱させて頂いて、五合なら五合にさせて頂いておられる。その方の場合なんかは。いうならば身の危険から脱する事だけじゃなくて、その精進をもってです、神様が判定勝ちとしてのおかげを下さろうというのです。
昨夜今ロッキード事件がそれこそ山場と思われるような、いわゆる以前田中首相がもう本当に聞くも見るも哀れな状態でおられる訳です。まだこれから大物がぞくぞくと出てくるだろうと言われております。その事をお願いさせて頂きよりましたらね、「日本の体質改善」という意味の事を頂いたです。してみるとその方達には気の毒だけれどです、それによって例えば政治家の、なら考え方というようなものがです、変わってくるならばです、いわゆる本当の意味においての日本の繁栄。
「本当の意味においてのその日本のその繁栄は世界の繁栄にもまた繋がらなければならない。ためには先ず日本がいうなら体質改善を行わせて貰わなければならない。もうこれから例えばです、政治家なら政治家にいくら美名とか名目があったからと言うてもです、なら賄賂をするような人が段々少なくなるだろうし、また賄賂どん出されたっちゃもういやいやち言う人が、みんな多くなってるだろうと思うです。
そういうことでからの言うなら政ごとというものが、どういう結果になるかということは、もう火を見るよりりも明らかなんです。日本のお国そのものも、只今体質改善の働きを受けておる時。私共も信心をさせて頂いて、今のおかげでよいならそれでよいけれども、もちっと増しなおかげを頂きたいならば、それこそ夢にも思わなかったと、言った様なおかげの進展を願うならば、先ず体の丈夫を願え体をつくれ何事も体がもとなり。どういうおかげを頂いていく為には体が元なんだ。
為には体に繋がっておるものは、先ず心である事を分からせて貰うて、心の丈夫を健全を願わせて貰い、その心をもって「おかげは和賀心にあり」というおかげを、いよいよ広く大きいものにしていかなければならない。為には何を食うにも飲むにも有り難く頂く心を忘れなよと。どう言う様な事柄であっても、それを合掌して受け受けるなら、食べこなしていくというおかげを頂かなければならん。食物はわが心で毒にも薬にもなるものぞ。どういう問題であってもです。
なら今度のいうならばロッキードの問題でありましてもです、これによって日本の体質改善が出来るとするならばです、そういう頂き方をするならばです、体質改善が出来るでしょう。頂き方を例えばそれを間違える事になりますとです、せっかくの体質改善のチャンスを頂いておっても、それをまた無駄にしていかなければならない。今日は私はこの二つの御神訓にもとずいて、それから三箇条の、いうならこの五箇条の御神訓から、お互いの信心の体質改善を、願わせて頂かなければならない事を聞いて頂きました。
どうぞ。